今日はぼくが今、なぜこのボーイズシンクロを仕事にしているかについて書こうと思う。
この記事を書いたきっかけ
友人で起業家・WondershakeのCEO 鈴木仁士くん (@Doubles9124) の言葉がきっかけでした。
「ぼくはなぜ今、慎也くんが楽天という会社を辞めて、シンクロという仕事をやっているのか、気になる。」と言ってくれたから。
今日はその質問に対して、ブログという形で応えていこうと思います。
仁士くん、伝えることの大切さを思い出させてくれて、ありがとう。
「この感動をみんなに。」最初のきっかけ。
なーんかやりたいんだけど、なにやったらいいかわかんない、楽して目立てることあったらいいのになー。
こういうことを感じて生活を送ってる人はきっといると思う。
高校生活をまさにそう感じて送っていたぼく。
そんなぼくに高校1年生のときに降って湧いた”ウォーターボーイズ“を文化祭でやるという機会。
ただの水泳部員だったぼくは、最初はもう嫌で嫌でたまんなくて。なんで裸で人前で踊らなきゃいけないのってね。
だけど、本番を迎えた日からぼくはその魅力に虜になった。
自分が偶発的に出会った仲間といっしょにものをつくって、お客さんといっしょに時間を共有し、その反応が直に返ってきて。
何よりも嬉しかったのは自分のしたことで誰かが笑ってくれたこと。
そして3年の夏、フジテレビ主催の全国高校ウォーターボーイズ選手権に出場。
ひと夏をシンクロに捧げたぼくは、東京・台場で開催された大会で3位という結果が出たとき、生まれてはじめて身体を震わせて泣いた。
悔しさも、安心感も、開放感も、うれしさも、達成感も、全部がぐちゃぐちゃになった時間だった。
チームを結成した理由は、あの選手権で味わった心が震えるような体験、あの感動体験をもっとたくさんの人に感じてほしい。知ってほしい。そう思ったから。なにもなかったぼくが、あの涙を流せた。そして、その可能性は誰にでもあると思ったから。
翌年の2006年4月、ぼくは選手権に出場していた全国のウォーターボーイズに声をかけ、iNDIGO BLUEを結成した。
新卒で入った会社を辞めて会社をはじめた
チームが6年目に入った2011年。ぼくは教員免許をとって、大学を卒業後4月から新卒で楽天という会社に入社した。そして研修期間が終わる6月に退社した。
これには何も言い訳はなくて、会社に迷惑をかけたと思っているし、今もそれを正当化する気はない。
ただそこにある事実として受け止めている。
思えば楽天に入るまでも、スイミングのコーチ、メガネショップスタッフや商品の企画、スポーツマネジメント、ウェブデザイン、人材会社の面接担当、芸能事務所やアーティストのマネージャー、雑誌のモデル、政治家さんのお手伝いなど、数え切れないほどの仕事と、それぞれの立場を実際に体験してきた。
何をやっても、どんなことをしてもやっぱり、先に書いたような、シンクロで味わった感動は味わえなかった。
シンクロは何が違うんだろう。ってぼくはずっと考えてた。
そこには確かな「おれがやらなきゃだれがやる」という感情があった。
あのとき、2006年の夏にぼくがチームを作らなかったら、きっとそこでぼくの愛したものは無くなっていたし、多くの可能性は生まれることもなく消えていったと思う。
そんな自分の当たり前の感情に気付いたぼくはとてもたくさん迷惑をかけた会社を退職し、自分にしかできないことが広がる場所に向かった。
自分の人生が変わり、人の人生を変えた夏
自分の人生でもきっと大きな決断を経て、覚悟を決めた最初の夏。
ぼくらは多くの方に支えられて、全国各地いろいろな場所で、実に40000人の人にボーイズシンクロエンターテインメントを届けた。
京都での6周年ライブの後、ある女性がぼくらに送ってくれた言葉。
「諦めていた声優の夢にもう一度挑戦しようと思います。」
この言葉がぼくらの届けているものが目指す姿で、そんなお客さんのエネルギーのシンクロこそがぼくらの存在価値。
ぼく自身が自分の人生を変え、そのアクションが人の人生を変えた。おおげさでもぼくはそれを心の糧にしているし、そう声をかけてくれたあの女性に、心から感謝している。
「シンクロを文化にすること」を通して伝えたいこと
よく聞かれる、「シンクロナイズドスイミングをやる人口を増やしたいの?」って。
ぼくが文化にしたいのは、あの声優さんのように「自分が楽しいと思うことを仕事にする」という人が生きやすい世の中をつくること。
ぼくは最初、18歳のときにチームをつくって2年半以上まったく売上がなくて、借金もしたし、たくさん営業電話もした。
だけど、3年目の夏、はじめてぼくらに売上をたててくれた愛媛での仕事でぼくの価値観は変わった。
その瞬間、ぼくらは文字通り”仕事”として自分が楽しいと思えることに取り組み始めた。
そしてその甲斐あって今、来年7年目を迎えるチームで、ぼくは自分が楽しいと思えることを仕事にしてご飯を食べさせてもらっている。
仕事にならなかったことを仕事にしたぼくが信じたことは、たったひとつ。
自分の感性に正直に生きること。
それだけを信じ続けて、ようやく大好きなことを”仕事”にさせていただいた。
まずはその楽しいという気持ちを大切にして、前に進んでほしいと思う。
本当に大好きなことなら、きっと今なんともならない何かを超える力が湧いてくるし、方法が見つかるし、仲間は見つかる。
ぼくは今もこう信じてる。
自分自身が「楽しいと思うことを仕事に出来ず悩んでいる人たち」にとって、ブレークスルーモデルになりたいと思ったし、そういう気持ちでいまも、日々取り組んでる。
大げさかもしれないけど、自分の一挙手一投足がこの業界の、そして「自分が楽しいと思うことを仕事にしたい人たち」にとっての未来を作ってるって。
ぼくが自分の人生を変えたことで、ある人の人生を変えたように、そのポジティブなアクションがシンクロする空間をつくりたい。
この記事を読んで、少しでもぼくのメッセージを受け取ってくれた人にお願いがあります。
ぼくらを見ててください。
そして、少しでもいいから、ぼくらに力を、声を集めてください。
ぼくらは、iNDIGO BLUEを、まるであなた自身を応援しているような、そんな気持ちを抱けるチームにします。
最後に。
2011年お世話になった方々に心からのありがとう。
とりわけ、ぼくの新しい人生を支えてくれた仲間であるiNDIGO BLUEのチームのみんな、全国ウォーターボーイズ選手権というチャンスをくださった皆様、全国各地のぼくらのクライアントの皆様と、”iNDIGO BLUEの最初のメンバー”であるライブに来て頂いたお客様、様々なプロジェクトを通してぼくに道標をくださった先輩方、ぼくらの活動に社会的を価値を見出してくださった港区議会議員の横尾俊成さん、鈴木仁士くんをはじめ同年代の同志たち、そして何よりもぼくを叱咤激励してくれた京都にいるぼくの母と愛犬のサクとハル、日々安心して仕事できる環境を整えてくれる彼女には、これまで以上の結果でお礼の気持ちを示していきたいと思う。
2012年、おれ、みてて。


